人間は何かをするための手段として,道具を使う。それは,一人一人好みの道具もちがうが,色々試した結果誰もが同じものを使うような道具になることもある。
教師がパソコンを使うのには,何かをしたいという思いがあるからである。そして,その手段としては,様々な選択肢がある。ただ,誰かが用意してくれた道具となれば,そうはいかない。この道具でお願いしますといわれれば,使い慣れてないけど,がんばって使わなきゃ仕方ないなと妥協するのがこれもまた普通。
しかし,教えるという活動においては,妥協できないのが教師の仕事のプロたるゆえんである。以前にも書いたけど,結局その部分を「わがまま」と見るか「こだわり」と見るかで話の展開は大きく変わってくる。
今最もこの議論で大切なのは,「校務とは具体的に何をさすのか」だと思う。
例えば,「学級通信は,校務なのか?授業なのか?」と聞かれたら,なんと答えるだろうか。その答えによって,この問題の原点が見えてくると思うけど。
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