第1講目
教師の専門性とは・・・やはり同僚性という部分が強調された。そして,学校を単位として実践を考えていく必要があるという部分。2日間を通して,この話が出てきたと言うことは,それだけ今の学校の在り方が,社会的に問題になっているのだろうと思った。
教師の専門性については,ユネスコが1996年に,それまでの『専門職』という位置づけから,『教育的活動の調整者としての教師』というものに変わった。これは,学校に求められている教育の位置づけが変わってきたことによる。たとえば,学習の機会がインターネットなどにより増えてきたことなどの背景がある。
この講義のメモ
専門職の定義
1 範囲が明確で,社会的に不可欠な仕事に独占的に従事する
2 理論的に裏付けられた高度な知識や技術が必要である。
3 二の習得のために長期の専門的訓練(教育)が必要である。
4 実践者は,個人としても集団としても,広範囲な自律性を与えられる。
5 4の自律性の範囲内で行った判断や行為については直接に責任を負う。
6 サービスの提供は,営利よりも公共の利益を第一意義的に重視して行う。
7 職能水準の維持・向上のためにh包括的自治組織を結成し,適用の仕方が具体化されている倫理要項を持つ。
8 その職業に従事するためには,国家またはそれに代わる機関による厳密な資格試験をパスすることが要求される。
教員の場合は,国家試験はない。それに代わるものが採用試験である。
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教師の専門性モデルの転換ということで,じつは教員免許更新の在り方についての話になっていくから・・・と。全くその通りだと思った。
昨日私が書いた内容と同じことを今日の講師の先生が言っていたのがうれしい。つまり,この講習の内容をそれぞれの学校の中に生かす(伝える)方法が必要だと言うこと。
非常に良い話だったのだが,講義終了時間を守れていないのは,残念。授業を準備する段階で時間配分を計算していないのは,運営上問題になる可能性がある。(時間を勘違いしてましたというのはまさに授業の専門家として残念。インストラクショナルデザインを意識することが必要か)
2講目
教育心理学の話。子どもたちの心のとらえ方など,いい内容だった。
受講生も興味深そうにおもしろく話を聞くことができた。やはり現場の課題意識をうまくくすぐって授業を構成しているからだと思う。1ヶ月前から,この授業の準備をしてきたという発言があり,なるほどだと思った。
3講目
午後から,発達障害についての講義
法的な定義などについていろいろわかったが,なにぶんにも伝達のみのスタイルで,こっくりこっくりしている受講生もかなりいたようだ。
プレゼンシートを延々と話すだけだったので,かなりきついなあ。
4講目
非行問題についての様々な情報提供。
恐喝より強盗が増えた理由として,コミュニケーション力の欠如の原因があるという学者もいるらしいというのはおもしろい見方。つまり,先に言葉をかけて金を巻き上げるのができないので,先に殴るというのだ。でもそうすると強盗扱いになり,罪がかなり重くなると言うのだ。なるほど。
鑑別所でのいろいろな様子を語ってくれたが,リアルな話のインパクトがあった。話も上手。とてもいい講義だった。
さて,最後のテスト
4枚の中から2枚を選んで記述。やはり記述の方法が難しいのと,手書きはきつい。
総括して・・・・・・・
同じ講座を受講している知り合いの先生からは,「これは,忍耐を試されている」『修行だ』という悟った意見。(笑)
ただ,やはり授業スタイルを受講教員が見直す機会とするためには,はやりそのあたりに対応しておく必要があるのではないかと,今後の課題として思った。映像は1回もないし,受講生と目を合わせずに授業する先生もいるし・・・・。
確かに専門家としての知見などが聞けるのは,非常に有意義である。あとは,その料理の出し方かなと。興味のある人,ない人に関わらず,今何を知っておいてほしいかという思いの感じられる講義が求められているのだろう。
読解力が国民的課題だとするなら,読解力が大切だということを是非受講生が感じとれるような講義を期待したいと思う。
また,何度も触れているがとにかく教室が暑いのは,体に負担である。この2日間でかなりくたびれたのは事実。でも,たとえこの途中で倒れても,労災にならないしなぁ・・
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